ブラックバスはオーストラリアにはいないんだ  でもやっぱりバスが好きで日本の釣りを思い出すのよ

バスという魚がとても好きだ。

ちいさいうちは愛嬌があって本当にかわいらしい顔つきをしている。

フッキング後は弾けるようにジャンプして抵抗するのだけれど、あっけなく寄ってきてしまう。
ルアーごとぶらさげて下唇をつかむと大抵おとなしくしているが、時折すばやく身をくねらせたりする。

携帯に残す画像がおめめクリクリでまた可愛らしい。
お前は子供だよな。もっと大きくなれよと水に返すと、一瞬の水しぶきが閃き、水面のもやと濁りのヴェールの内に消え去ってしまう。

それが大きくなると全く雰囲気が違ってくる。
フッキングが決まり魚の重みで腕が止まる瞬間は、女性にはわからない一瞬の恍惚だ。

重々しい引きを竿先でなだめつつ、時折水面に躍り出ての鈍いエラ洗いは、重く割れる水音とともにルアーが弾け飛ぶかもしれない緊張で指に力が入らなくなる。

最後の抵抗をかわして無事ランディング。

半開きの口に手を伸ばして分厚い下顎をつかんだときの重み、抑えきれない喜び、達成感。
誰もいない場所でひとりガッツポーズを繰り返し、興奮してヨッシャが止まらない。

深い緑色の引き締まった魚体にしばし見惚れる。
画像に残した魚を掲げる自分の顔には、日頃の憂愁が消え去った純粋な喜びだけが映っている。

逃がしたあとで親指の腹から付け根までバスの歯で傷ついているのに気づき、鼻を寄せると特有の青臭い匂いで喜びがよみがえってくるのだ。

食べる楽しみはほとんどなく、釣りあげるだけで人をここまで幸せな気持ちにさせる魚はなかなかいないだろう。

けれどそんなバスなのに世間での評判はあまりよろしくない。

外来魚ではあるが、害魚といわれるのは不愉快極まりない。
世の中に害魚なんてものは存在しないのだ。

いまバスの生体の持ち出しは禁止であり、場所によっては再放流禁止であるが、バスを釣るという行為自体は違法ではない。

ルアーメーカーやバスによって生計を立てている人、地域ぐるみでバスがいなくなったら困るところだってある。

人は魚を釣って喜びを享受する権利があるのだ。後ろめたい気持ちになることはない。

野池やため池などの閉鎖的な環境でのバスは、そこにいる小魚や甲殻類などに深刻な影響を及ぼすのは認める。
けれど、ダム湖はどうなのかと思う。

外来魚が常に目の敵になっているが、在来種への影響は、環境破壊に比べれば被害は大幅に少ないのではないだろうか。
いま上流から河口に至るまで、ダムや堰などの河川横断工作物のない川が全国にいくつあるのか。

ウナギ、サケ、サクラマス、サツキマス、アユなど海と川を行き来する魚が減ったのは間違いなくダムや堰、段差工などで河川が分断されてしまったからだ。

堰き止められ分断され大幅に歪められてしまった河川環境で、元々いた魚がうまく繁殖できるはずがないだろう。
元の自然とかけ離れてしまった環境において、湖面の有効利用の観点でもっとバスフィッシングは正当化されて良いと思うのである。

またダム湖は時が経つにつれて上流からの土砂で埋まっていくのだ。

自分が20年ほど前までよく通った、千葉の亀山ダムの最上流に位置するボート屋が一昨年に閉店したのだが、満水時で当時水深4m以上あった桟橋は、土砂の上に乗っかっている状態だった。

亀山ダムくらい規模の大きなダム湖であっても、いずれ全域が土砂で埋まり浅くなってしまうのは間違いない。
球場の容積よりも大量の土砂をユンボで掻き出すことなんて金銭的に不可能であり、土砂をどうするかという問題もある。いずれは埋まって無用の長物と化す代物が、日本中ほとんどの河川上流部に作られているのだ。

日本中の海の砂浜が流失し、また貧栄養化で海の小魚が繁殖しなくなったのは、河川がダムで分断されて山砂や様々な栄養分が途絶えてしまったからだろう。

数十年後に、全国に出現する浅くなってしまったダム湖をみて我々の子や孫の世代はどう思うのだろうか。

もしもダムや堰などを撤去して川をもとの自然環境に戻すのであれば、自分は日本の湖沼にバスはいなくてもいいと思っている。

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